ほとんど毎日、書店をのぞかないではいられない。だから、いつも平積みされた新着本には、興味がある。
ベストセラーは、無視できない。おめあての作家の新作は、いまかいまかと待ち望んでいる。
でも出版されて数十年、文庫化されて版を重ねて、いまだ読者を魅了するそんな本こそ見逃せない。
仕事や義務や義理ではなくて、ただ「何か読みたくなった」とき、心に引っ掛かった一冊を紹介します。
冷布亭氏からのご案内は、月に2回のお届け予定です。

[連載エッセイ No.2]

プロフィール
山口 瞳「居酒屋兆治」

新潮文庫 1986年3月27日第1刷 (1982年6月 単行本発行)

   『律儀で一徹な性格ゆえに会社勤めに嫌気がさしてモツ焼き屋を始めた兆冶には、かつて好き合いながら結ばれなかった女がいた。その彼女が、嫁ぎ先を家出して突然彼の店に現れる。彼女に対する兆冶の、いまだ消えやらぬそこはことない思いを縦糸に、東京郊外の広さ5坪の縄のれんに集う、その土地に生まれ育った人々のさまざまな人間模様を鮮やかに描く長編小説。』と新潮文庫のカバー裏にはあらすじがある。

   以前、土曜か日曜日の午後だったか、映画「居酒屋兆冶」を、テレビでほんの数分ちらりと見たことはある。だから、律儀で一徹、無口な兆冶役がぴったりとはまる高倉健と、その妻茂子の加藤登記子以外は、競演陣を思い出せない。
   しかし、原作であるこの本を読んでいると役者の顔が彷彿と浮かんでくる。精肉屋の親友岩下は小林薫、隣のカラオケスナック若草のママ峰子は、あき竹城だろう。兆冶の恩師小学校校長相場には大滝秀一がはまり役だ。そして好意をよせていた女、神谷さよは秋吉久美子か。そのほか役者の名前は定かではないが、登場人物のひとりひとりの顔を思い浮かべることができる。
   実際は違っているかもしれない。いや違っていてもいいのだ。映画化されたのはすでに20年以上も前のことだが、要は、主役から端役まで描写が的確で、ひとりとして「顔のない」人物なぞいないということだ。すべて「顔」を持ち、「心」を抱えている。だから、私は、共感や反感や同情や憧れや憐憫やもろもろの感情を、登場人物に抱き、深くこの小説世界に浸るのだ。山口瞳の小説家としての巧みの技に脱帽である。
   なお、題名の「兆冶」は、出版当時プロ野球ロッテ・オリオンズのエース、村田兆冶からイメージを拝借したと何かで読んだ。ちょっと変則ながら、左足を大きく踏み出すダイナミックな投法で、150Kmを超えるストレートで打者に真っ向勝負した。現役を引退して10数年、いまだトレーニングは怠らず、今もなお、マスターズリーグで140Kmの直球を投げるという。

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