ほとんど毎日、書店をのぞかないではいられない。だから、いつも平積みされた新着本には、興味がある。
ベストセラーは、無視できない。おめあての作家の新作は、いまかいまかと待ち望んでいる。
でも出版されて数十年、文庫化されて版を重ねて、いまだ読者を魅了するそんな本こそ見逃せない。
仕事や義務や義理ではなくて、ただ「何か読みたくなった」とき、心に引っ掛かった一冊を紹介します。
冷布亭氏からのご案内は、月に2回のお届け予定です。

[連載エッセイ No.7]

プロフィール
色川武大「寄席放浪記」

河出文庫 2007年2月第1刷 (単行本 1986年 廣済堂出版)

 本屋で“これは!”と思って手にして買って、家に戻ってみると本棚には同じ本がもう1冊、なんてことはままあること。もちろん、これは歳のせいであることはよーく自覚しているが、文庫本は、版元が何度も代わって出版されることもよくある。絶版となって数年経っても、版元が代わるとまた売れる作家・作品は結構あるんですと、専門家から聞いたことがある。
 本書も、我が家には廣済堂文庫(1988年12月第2刷)版がすでにあった。『文庫化されて版を重ねて』というのがこのコラムの主旨である。自ら掟破りの言い訳だが、ご理解願いたい。

 別名に阿佐田哲也。「麻雀放浪記」などで名を馳せた著者は、この色川武大(いろかわたけひろ)として直木賞を受賞しているが、子どもの頃から、学校をさぼっての寄席通い。戦前、戦中、戦後、色川が見続けてきた高座には、志ん生、文楽、可楽など、今に伝えられる名人上手がいた。もちろん、これら名人たちにも触れているが、巻頭『私は、あんまり、正しい生き方なんというものに関心が向かなくてね。自分などはどうせたいした人間じゃないから、正しい生き方も邪な生き方も、出来ないだろうと思ってた』と語る色川は、二流の人、無名の芸人、忘れ去られた数多くの人々にこそ思いを寄せ、本書の紙面に甦らせている。
 同じ趣向を持つ立川談志やこの道の先達たちとの対談もあり、ストリップ劇場で客にまったく無視されながら幕間にコントを演じるコメディアン、何をしゃべっているのかさっぱり噺が聞き取れない老落語家、兵隊に取られいつの間にか舞台から消えていった漫才師など、誰が面白かったか、誰を覚えているか、まるで男の子たちのくだらない自慢話大会を彷彿とさせて、微笑ましい。

 落語、寄席好きの小生だが、さすがに時代が違うため、登場する多くの芸人はまるで知らないが、本書を読みながら、今も高座で活躍する、それも落語家ではなく色物と呼ばれる芸人さんたちを思い出していた。例えば、曲独楽の柳家とし松。観客のひとりに3メートルばかりの糸の一端を持たせ、独楽を渡らせる、糸渡りの芸。見事と言えば見事だが十年一日、その糸を客に巻かせて言うせりふ「糸を巻くのが上手だねぇ。明日から一緒にやらない?」、これも十年一日なのだが、つい笑ってしまう。
 紙切り名人の正楽は客の注文を受けて短時間のうちに高座の上で素晴らしい作品を切り上げるが、ぶっきらぼうな口調でいつも通りのギャグを言う。「この間も、何かご注文はと言ったら、とりあえずビール」。けんか口調のギター漫談ぺぺ桜井、タネがばればれのとぼけた口調の手品師アサダ2世も、出てくるだけでついにんまりとなってしまう。彼らはきっと今日も明日も、そしてこれからもずっと同じ芸、同じギャグで高座に立つのだろう。そして小生も「また同じことやってる」と半ばあきれながら、それでも拍手を送るのだ。

 そうだ、明日はこの本持って、寄席へ行こう!

 

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