ほとんど毎日、書店をのぞかないではいられない。だから、いつも平積みされた新着本には、興味がある。
ベストセラーは、無視できない。おめあての作家の新作は、いまかいまかと待ち望んでいる。
でも出版されて数十年、文庫化されて版を重ねて、いまだ読者を魅了するそんな本こそ見逃せない。
仕事や義務や義理ではなくて、ただ「何か読みたくなった」とき、心に引っ掛かった一冊を紹介します。
冷布亭氏からのご案内は、月に2回のお届け予定です。

[連載エッセイ No.11]

プロフィール
太宰治「津軽」

新潮文庫 1951年(昭和26年)8月第1刷  単行本/小山書店1944年

   6月19日は桜桃忌。1948年(昭和23年)のこの日早朝、玉川上水で太宰の遺体が愛人山崎富栄とともに発見された。享年39、この日は太宰=津島修治の誕生日でもある。
   いったいに太宰とか芥川にはまるのは、少年から青年期に至る過程での通過儀礼みたいなものだろう。小生も主な作品はほとんど読んでいたと思っていたが、思い過ごしもいいところ。無知不明を恥じるばかりだが、この「津軽」は太宰の数ある作品のなかでも名作の誉れ高いという。知らなかった! 岩波、角川版もあるが、新潮文庫版は軽く100刷を越えている。

   しかし、はたして本当に名作なのか。戦時下、「人の心と人の心の触れ合いを追求しながら、津軽の現在生きている姿をそのまま伝える昭和の風土記」を意図して、本書は書き進められる。地勢、地質、天文、財政、沿革、教育などについての意見はあえて避けるというが、凶作の克服の話やら、津軽の国の成り立ちやら、歴史、地誌をひもといての文章も多い。まあ、百歩譲って微笑ましい郷土自慢と思えなくもないが、それでは主旨が違うのではないかと茶々を入れたくなる。
   旧制高校出身からか漢文の素養があるらしく、難解な熟語が多用されるのはちょっと嫌みにも思える。明治生まれの人の教養の高さは認めるとしても、やたらと注解が多くてそれもわざわざ解説する必要がないような言葉にまでついているものだから、注解だけで38ページ!、太宰の所為ではないが、読みにくいとこれも茶々を入れよう。
   「人の心と人の心の触れ合い」と言うことならば、確かに青森のT君、蟹田のN君と旧交を暖め、今別ではMさんの手厚い世話を受け、五所川原では恩人の中畑さんのやせ衰えた老躯に心痛める。しかし、どこへ行っても、酒ばかり呑んでいるのだ。戦時下の食糧難、酒不足の中、太宰自身「私は津軽へ食べものをあさりに来たのではない。私は真理と愛情の乞食だ!」と見栄を切っておきながら、蟹田では蟹と酒をたらふく堪能するのだ。竜飛の宿ではN君とふたり、またたく間に6本のお銚子をあけ、はたしてさらに追加して頼むかどうかくだらない思案をしている。
   いったいどこが名作なのだと、またしても茶々を入れたくなるが、太宰は最後に小泊に住むたけという女性を訪ねる。たけは、太宰が3歳から8歳の間、養育係として津島家に勤めたお手伝いさんだ。それから30年、実母よりも、乳母よりも、太宰がずっと求めていたのはたけだった。訪ねて行った家は留守だった。もう会えぬと覚悟したが、最後の最後に折から開かれていた村の運動会で会えるのだ。たけという存在に行き着くためには、ここまで延々とつづられてきた郷土自慢も酒浸り旅行も必要だったのだ。二人の再会のシーンは何度読んでも胸に迫る。これは名作だ!

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