ほとんど毎日、書店をのぞかないではいられない。だから、いつも平積みされた新着本には、興味がある。
ベストセラーは、無視できない。おめあての作家の新作は、いまかいまかと待ち望んでいる。
でも出版されて数十年、文庫化されて版を重ねて、いまだ読者を魅了するそんな本こそ見逃せない。
仕事や義務や義理ではなくて、ただ「何か読みたくなった」とき、心に引っ掛かった一冊を紹介します。
冷布亭氏からのご案内は、月に2回のお届け予定です。

[連載エッセイ No.13]

プロフィール
村上春樹「風の歌を聴け」

講談社文庫 2004年9月 新版第1刷 (単行本/講談社 1979年7月)

   音楽や、芝居や、そしておそらく洋服も同じなのだが、親から与えられたものでなく、教師から教えられたものでもなく、ある日これは自分のものだと、自分たちの時代のものだと思う作家や小説に出会うことがある。村上春樹は、小生にとって、その1人だ。「角川春樹」と「村上龍」をくっつけたようなふざけた名前だと思いながら、どうしても顔を見たくて、彼が経営していた千駄ヶ谷駅前のJAZZ喫茶ピーターキャットに何度か足を運んだのは、もう30年近くも前だ。

   「風の歌を聴け」。本当は「HAPPY BIRTHDAY AND WHITE CHRISTMAS」というタイトルだったのだと思う。佐々木マキのカバーイラストの一番上に描き文字でそう入っているし、主人公の「僕」の誕生日が12月24日なのだ。
   ちょっと気恥ずかしいタイトルだ。東京の大学生の「僕」が地方の港町に帰省した夏休みの半月あまりの恋と友情とビールの日々の話を、今、読み直すのも、ちょっと気恥ずかしい。小生の故郷は港町ではなかったし、マイカーなんて持っていなかったし、いかした女の子にも縁がなかったけれど、それでも“「僕」は自分のことだ”と感じていたことを、思い出した。
   大学生というモラトリアムの時期、夏休みはその中でさらに入れ子のようなモラトリアムな時間だ。しかし、夏休みはいつか終わり、人は大学から街へ踏み出す。小生も「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ノルウェイの森」「世界の終わりとハートボイルドワンダーランド」と読み続けたが、いつからか“自分のもの”“自分たちの時代のもの”という感覚から遠ざかっていった。そして気がつくと、お気に入りだったはずの洋服を脱ぐように、村上春樹から遠ざかっていった。 “自分の体型が変わったからなのか”“村上春樹の仕立てが変わったからなのか”は、ここでは論評しない。
   それでも、今回久しぶりに読んでみると、すんなりと袖が通り、着慣れた服のように心になじむのだ。「風の歌を聴け」はそんな小説だ。

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