ほとんど毎日、書店をのぞかないではいられない。だから、いつも平積みされた新着本には、興味がある。
ベストセラーは、無視できない。おめあての作家の新作は、いまかいまかと待ち望んでいる。
でも出版されて数十年、文庫化されて版を重ねて、いまだ読者を魅了するそんな本こそ見逃せない。
仕事や義務や義理ではなくて、ただ「何か読みたくなった」とき、心に引っ掛かった一冊を紹介します。
冷布亭氏からのご案内は、月に2回のお届け予定です。

[連載エッセイ No.15]

プロフィール
三遊亭 円朝「塩原多助一代記」

岩波文庫 1957年6月第1刷

   一昨年のテレビドラマ「タイガー&ドラゴン」以来、ちょっとした落語ブームなのだという。今年は春に佐藤多佳子の小説「しゃべれどもしゃべれども」が映画化され、二つ目の落語家をTOKIOの国分太一が好演して話題となった。6月1日売りの雑誌BRUTUSは「ミュージシャンと作る落語特集!」と銘打って、表紙では立川志の輔と井上陽水が“共演”している。これにはCDとマンガの小冊子が付録としてついて、落語好きの小生は、2冊も買ってしまった。
   今月には映画「怪談」が公開となっているが、原作は三遊亭円朝の怪談噺「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」と聞く。円朝と言えば、「怪談 牡丹灯籠」、人情噺「文七元結」、ほか三題ばなしによる落語「鰍沢」「大仏餅」などなど、今でも多くの落語家が演じ、また、歌舞伎や映画などの原作となっているものが少なくない。

   「塩原多助一代記」も、円朝が遺した伝記ものの名作のひとつ。明治11年(1887)に完成し、若林坩蔵速記による「怪談牡丹灯籠」刊行に続き、明治18年(1885)、同じく若林坩蔵の速記によって、書籍化された。世に言う、言文一致体の魁だ。
   題名から察する通り、極貧から身を粉にして働き、破産した養家を見事復興させ、自らは江戸本所に塩原ありと言われるほどの商人として成功するまでの物語。主人公多助は、義理の母にいじめを受け、妻は他の男と不義密通、殺されることを察知して養家を跳びだし、江戸に向かうも万策尽きて身投げしようとするところ助けられ、偶然実の両親と再会を果たすも邪険にされる。行き倒れの老婆を助けると、なんと憎き義理の母。
   あまりに長い噺なので、実際に円朝が高座にかけたときのように10数回の章立てになっている。毎夜毎夜、客を飽きさせることなく、次の日にも来てもらうためにも、物語は艱難辛苦、因果応報、複雑怪奇なんでもあり、回る因果は糸車。登場人物の関係図のメモを作っておかないと、その糸がこんがらがってしまうほどだが、実に面白い。

   そう言えば、今年3月、辻原登の「円朝芝居噺 夫婦幽霊」(講談社)という小説が上梓され、話題になった。なんと著者辻原が偶然、三遊亭円朝の未発表の速記の反故を手に入れたところから小説は始まる。速記者のひとりは、もちろん若林坩蔵。その噺の題名が「夫婦幽霊」と言うのだが、この小説も虚実入り混じり・・・。
   うーむ、円朝没して107年、これも因果か、まだまだ我々を魅了し続ける。

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