ほとんど毎日、書店をのぞかないではいられない。だから、いつも平積みされた新着本には、興味がある。
ベストセラーは、無視できない。おめあての作家の新作は、いまかいまかと待ち望んでいる。
でも出版されて数十年、文庫化されて版を重ねて、いまだ読者を魅了するそんな本こそ見逃せない。
仕事や義務や義理ではなくて、ただ「何か読みたくなった」とき、心に引っ掛かった一冊を紹介します。
冷布亭氏からのご案内は、月に2回のお届け予定です。

[連載エッセイ No.21]

プロフィール
夏目漱石 「硝子戸の中」(がらすどのうち)

新潮文庫 1952年7月第1刷  1915年1月〜2月 朝日新聞連載

   「文豪・夏目漱石」展を江戸東京博物館へ見に行った(2007年9月26日〜11月18日まで開催)。東北大学に保管されている「漱石文庫」を中心に、漱石の旧蔵品や、自筆の書画、関連の資料、そしてデスマスクまで多数展示されていて、2時間ばかり、漱石の世界に遊ぶことができた。
   漱石といえば「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「三四郎」それに「こころ」だと言う。岩波文庫が2005年に実施したアンケート「読者が選んだ私の好きな岩波文庫100選」の1位は「こころ」2位「坊ちゃん」、新潮文庫は漱石作品だけで累計2700万部、いまだに版を重ねるもの多数だ(参考=雑誌「東京人」2006年2月号 特集『東京っ子、夏目漱石』/「漱石は今でも読まれているか?」木部与巴仁・文)。
   小生も「吾輩は猫である」は大好きだ。今手元にあるのは、岩波文庫版2003年5月第23刷、総ページ560を超えるが、本体価格500円(現在は560円)。今どき、驚くばかりの廉価と言える。「三四郎」で、漱石は三代目小さんを当代きっての名人とほめちぎっている。「吾輩は猫である」は、まさに名人漱石の一席。語り口=文体の古さも含めて、明治の噺だ。どこから読んでも楽しい。

   さて、「硝子戸の中」。硝子戸の中とは漱石の書斎のことであり、そこから見聞する社会や人やそして自分に思いを巡らす、小品の随想集だ。朝日新聞に連載されたのは、漱石の死の前年、淡々とした語り口の中に、さまざまな死が散見できる。愛犬ヘクトーの死に想いを馳せ、生死に悩む女の相談にのり、床屋で思いがけなくある人の死を知る。友人の妻の訃報に接し手向けた句「ある程の菊投げ入れよ棺の中」が漱石作であることも、本書で知った。
   とは言え、ユーモアを忘れないのが漱石だ。飼い猫のことを書いて「或時彼は台所の戸棚へ這入って、鍋の中へ落ちた。その鍋の中には胡麻の油が一杯あったので、彼の身体はコスメチックでも塗りつけたように光り始めた。彼はその光る身体で私の原稿用紙の上に寝たものだから、油がずっと下まで滲み通って、私を随分な目に逢わせた」。これぞ、元祖“猫鍋”だ!
   最後に、漱石は「〜家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚とこの稿を書き終わるのである。そうした後で、私は一寸肘を曲げて、この縁側で眠りつもりである。」と結んでいる。そうなのだ、漱石は未だ死なず、眠っているのだ。こうして漱石展が催され、幸い、本はいつでも読める。ときどき思い出しては、硝子戸の中で眠っている漱石さんを、覗きに行こう。

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