ほとんど毎日、書店をのぞかないではいられない。だから、いつも平積みされた新着本には、興味がある。
ベストセラーは、無視できない。おめあての作家の新作は、いまかいまかと待ち望んでいる。
でも出版されて数十年、文庫化されて版を重ねて、いまだ読者を魅了するそんな本こそ見逃せない。
仕事や義務や義理ではなくて、ただ「何か読みたくなった」とき、心に引っ掛かった一冊を紹介します。
冷布亭氏からのご案内は、月に2回のお届け予定です。

[連載エッセイ No.29]

 

プロフィール
杉浦日向子ひなこ「江戸へようこそ」

ちくま文庫 1989年1月第1刷  単行本 1986年8月

   著者は「二つ枕」「えひもせす」「風流江戸雀」など遊郭や庶民生活など江戸を題材にした漫画で名前を上げ、後に江戸風俗研究家、エッセイストとしても、数多くの“江戸案内本”を出した。
   本書は、“江戸案内本”のなかでもごく初期のものだが、執筆当時20代半ばのムスメが案内する世界は、吉原に、春画に、黄表紙とくるから驚く。「裏の文化にこそ江戸的なもののエッセンスが顕著に表れていると考える」から春画の話をすると杉浦は文中で書いているが、吉原、黄表紙も、裏の文化。古道具や小物などで自分の部屋を飾り立てる“江戸趣味”には全く興味がないと語る著者の“江戸案内”は、なかなかオトナな愉しみに満ちている。
   著者は大学を中退後、時代考証を学んだようではあるけれど、その語り口にはまったく学問臭さがない。例えば、遊女の言葉づかいにも流行廃りがあってひと頃の女子大生言葉になぞらえたり、吉原での粋な遊び方を説明するのに得意の漫画を挿し絵にしてみたり。あたかもかの時代に入り込んだ好奇心旺盛の女性レポーターのごとく、「ねえねえ聞いて聞いて、見て見て!」とばかりに、あっけらかんと楽しい。巻末には、自らの絵で黄表紙仕立てにしたオハナシを入れる凝りようだ。

   テレビのバラエティー番組のコメンテーターとしても活躍した杉浦日向子が46歳で急逝して、今年の7月で3年になる。訃報を聞いたとき、小生は、以前にこの欄で紹介した石川英輔の「大江戸神仙伝」シリーズの第2作「大江戸仙境録」に登場する、池野ゆみという婆さんを思い出した。主人公の速見洋介同様、タイムスリップする能力を備えていて、江戸と現代を自由に行き来する。昭和生まれの速見と違うのは、この婆さん、“歴とした江戸生まれ”ながら東京・神田にアパートも借りていて、現代でのシングルライフをちゃっかりと楽しんでいるところだ。
   晩年、杉浦日向子は江戸の看板をおろして文筆業に専念したと聞く。いささか、現代で江戸のことを語るのに疲れたのかもしれない。とすれば今頃江戸で、今度は「東京」のことをオハナシしているかもしれない。そうであって欲しいと夢想するのだ。

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