ほとんど毎日、書店をのぞかないではいられない。だから、いつも平積みされた新着本には、興味がある。
ベストセラーは、無視できない。おめあての作家の新作は、いまかいまかと待ち望んでいる。
でも出版されて数十年、文庫化されて版を重ねて、いまだ読者を魅了するそんな本こそ見逃せない。
仕事や義務や義理ではなくて、ただ「何か読みたくなった」とき、心に引っ掛かった一冊を紹介します。
冷布亭氏からのご案内は、月に2回のお届け予定です。

[連載エッセイ No.43]

 

プロフィール
北原亜以子「まんがら茂平次」

新潮文庫 1995年9月  第1刷 単行本 1992年11月

   『茂平次の渾名は、まんがらという。まんがらとは、万のことを言っても本当のことはからっぽという意味であった。千のうちに三つくらいはほんとうのことがあるせんみつより、なお始末が悪いのだ。』と文中にある。なるほど「せんだみつお」というタレント名はそういう訳だったのかと膝を打ったが、落語のほうでは嘘付きと言えば「弥次郎」が代名詞、ちなみにケチは「赤螺屋吝(あかにしやけち)兵衛(べえ)」なる御仁がいくつかの噺に登場する。ともあれ「まんがら」と呼ばれるこの男、さぞや大嘘つきの獄悪人かというとさにあらず。頃は維新間近の幕末、神田の裏長屋に住む茂平次が主人公の時代小説だ。口先三寸で作者を偽って掛け軸を売ったりもするが、喋っているうちに、それが自分でも嘘なのかほんとうなのか、わからなくなってしまう。どこか憎めない愛嬌のある顔で、裏長屋の住人やなじみの人間たちは嘘とわかっていながら、小遣い銭や振舞い酒を巻き上げられる。
   そんな男の「まんがら」が火付けをした薩摩藩の浪士と見咎められた男を助け、新鮮組を脱走した男と無法者の旦那の囲い者であった女の仲を取りもつことになる。
   彰義隊に入った旗本の四男坊と恋人の芸者、財布をなくし蕎麦屋で金が払えなくなって途方に暮れる薩摩兵、知行地に逃げ帰った旗本の愛妾だった伯母の家から逃げだした娘、みんな幕末維新の波に翻弄されながら、懸命に生きていく。その傍らにはいつも茂平次の「まんがら」があった。

   北原亜以子は、小生お気に入りの作家のひとり。近刊では、彼女の父親が出征した戦地から送った北原宛ての70数枚の絵入りのはがきを収録した追想記「父の戦地」(新潮社)が話題を呼んでいるが、やはり「深川澪通り木戸番小屋」シリーズ(講談社)や、「慶次郎縁側日記」シリーズ(新潮社)などの時代小説が北原の真骨頂といえるだろう。ところで、
   この「まんがら茂平次」の中で、彰義隊に入った旗本の四男坊は上野の山の戦争で瀕死の重傷を負い、根岸にある問屋の寮に匿われるのだが、その名は山口屋。「慶次郎縁側日記」の森脇慶次郎が寮番を勤めるのも、根岸の山口屋の寮なのだ。そんなちょっとした“発見”が、ファンにとっては愉しみでもある。

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