ほとんど毎日、書店をのぞかないではいられない。だから、いつも平積みされた新着本には、興味がある。
ベストセラーは、無視できない。おめあての作家の新作は、いまかいまかと待ち望んでいる。
でも出版されて数十年、文庫化されて版を重ねて、いまだ読者を魅了するそんな本こそ見逃せない。
仕事や義務や義理ではなくて、ただ「何か読みたくなった」とき、心に引っ掛かった一冊を紹介します。
冷布亭氏からのご案内は、月に2回のお届け予定です。

[連載エッセイ No.48]

プロフィール
堀内敬三・井上武士編「日本唱歌集」

岩波文庫 1958年12月第1刷

   本書には、長く歌い継がれてきた唱歌150曲余りが記載されている。カバーには、『明治・大正・昭和の名歌すべてを集めた』と豪語しているが、まったく聞いたことも見たこともない歌も数多い。それでも、ページを開いて小学生、中学生時分に歌った唱歌を見つけると懐かしい。戦後の曲は記載されていないからどれも発表年度は古いが、「とーしのはじめのためしとて」の『一月一日』は明治26年=1893年、「もういーくつねるとおしょーがーつ」の滝廉太郎作曲『お正月』は明治34年=1901年、「はるーはなーのみのーかぜのさむさやー」の『早春賦』は大正2年=1913年であることを知ると、ちょっと驚く。
   「あーきのゆうひーにーてるやまもみじ」の『紅葉』(明治44年=1911年)、「なーのはーなばたけーに」の『朧月夜』、「うーさーぎおいしーかのやまー」の『故郷』(ともに大正3年=1914年)は、いずれも作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一の手によるが、この二人を主人公に据えたノンフィクション「唱歌誕生−ふるさとを作った男」(文春文庫 1994年5月 第1刷)を、以前に読んだことを思い出した。著者は、今は東京都副知事でもある猪瀬直樹だ。
   維新後、明治新政府の教育政策の一環で、音楽も徐々に整備されていく。本書「日本唱歌集」の巻末には解説としてその歴史が披露されているが、教科書をめぐる疑獄事件や日清、日露戦争後の“国民の心の結集”として、明治30年代以降、文部省唱歌が選定されるようになっていく。高野も岡野も、その編集委員として任命され、自らも作詩、作曲するのだが、「唱歌誕生−ふるさとを作った男」には、二人の男の生い立ちから明らかにされる。特に高野をめぐる人たちの周縁には、シルクロード探検隊を派遣したとして名高い西本願寺門主大谷光瑞や、東京音楽学校のピアノ科に学んだこともある島崎藤村などがいて、とても興味深い。
   ともあれ、長野県生まれで高等師範学校に入れず下級官僚から叩き上げた高野と、鳥取生まれで母子家庭に育ちキリスト教会でオルガン奏者のアルバイトをしながら母校東京音楽学校の助手となった岡野が、『故郷』を作ったのだ。故郷を思う気持ちは人さまざまではあるが、作られて約100年、この文部省唱歌が未だ人々に歌われるのは、国策とは無縁と思いたい。
   なお、「はーるーのおがわはーさらさらいくよー」の『春の小川』(大正元年=1912年)も二人の作詞、作曲だが、この小川のモデルは、今は暗渠となってしまった渋谷・宇田川の支流・河骨川と言う。

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