ほとんど毎日、書店をのぞかないではいられない。だから、いつも平積みされた新着本には、興味がある。
ベストセラーは、無視できない。おめあての作家の新作は、いまかいまかと待ち望んでいる。
でも出版されて数十年、文庫化されて版を重ねて、いまだ読者を魅了するそんな本こそ見逃せない。
仕事や義務や義理ではなくて、ただ「何か読みたくなった」とき、心に引っ掛かった一冊を紹介します。
冷布亭氏からのご案内は、月に2回のお届け予定です。

[連載エッセイ No.50]

 

プロフィール
尾崎士郎「人生劇場 青春篇」

角川文庫 1963年4月  第1刷 単行本1935年

   本の街、神田神保町で「人生劇場」と言えば、パチンコ屋さんだ。靖国通りの大型書店「書泉グランデ」の対面に位置して、昔から「ジンゲキ」と呼ばれ親しまれている。明治、中央、日本、専修など、田舎出の大学生がこの店に入り浸っては、なけなしの小遣いをすってしまい、「ああ、これが人生か」などと下手な芝居の文句を幾度となくつぶやいたことから店の名前がついたと聞いたが、真偽の程は確かではない。

   と前置きが長くなったが、「人生劇場」と言えば、尾崎士郎だ、早稲田だ。愛知三河から青雲の志高く早稲田大学に入学した青成瓢吉の自立と友情と恋の物語。なんて書くとなんだかロマンチックだが、描かれている大正半ば、瓢吉の青春は挫折の連続だ。しかし不思議と暗さはない。その挫折はどこか滑稽でもあり、文章もふざけたところがあってお世辞にもうまいとは言えないが、勢いがあって面白い。
   入学早々、大学の争議に巻き込まれた瓢吉は演説をぶって男をあげるが、芸者お袖との恋に疲れている。お袖は愛嬌があって男好きするらしいのだが、ものすごくいい女かと言えば、どうやら違う。文章を抜き書きすると『やっと十三貫に足らぬ、しなびた茄子のような瓢吉と、十六貫にもりあがった弾力体を南瓜のようにどっしりとかまえているお袖とはすでに生理的条件において相撲にならぬのだ。それにしても、恋するなかれ乙女子よ、江戸川の水辺に咲ける名花も、かくて都会の塵埃にうもれては八百屋の店頭にころがっているキャベツにも若かざるなり』。十六貫! 64kgって、どんな芸者だ、どんな名花だ。
   大学を中退した瓢吉はお袖を捨て、死亡した父瓢太郎の葬儀のため帰郷し、そこで家に出入りしていた昔馴染みの渡世人、吉良常と再会し、ふたりで再び上京する。吉良常は無銭飲食の常習者と知り合うが、それは瓢吉の中学時代の恩師黒馬先生であった。友人たちはそれぞれ自分の道を歩き始めようとしていたが、瓢吉の心は、いまだお袖を忘れられず青春の真っ只中に立ちどまっていた。

   ずっと読みたいと思っていた小説だが、しばらく新刊では手に入らなかった。昨年末2008年12月に改版初版が発売された。「愛欲篇」「残侠篇」など全8篇の初篇だが、続編が刊行されるのを待ちたい。

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