ほとんど毎日、書店をのぞかないではいられない。だから、いつも平積みされた新着本には、興味がある。
ベストセラーは、無視できない。おめあての作家の新作は、いまかいまかと待ち望んでいる。
でも出版されて数十年、文庫化されて版を重ねて、いまだ読者を魅了するそんな本こそ見逃せない。
仕事や義務や義理ではなくて、ただ「何か読みたくなった」とき、心に引っ掛かった一冊を紹介します。
冷布亭氏からのご案内は、月に2回のお届け予定です。

[連載エッセイ No.52]

プロフィール
飯嶋和一「雷電本紀」

                           小学館文庫2005年6月 第1刷/河出文庫1996年9月 第1刷
                           単行本 河出書房新社 1994年6月

   今年の初場所は朝青龍が復活優勝を遂げた。朝青龍の言動や品格が繰り返し物議を醸すが、大麻、八百長、弟子のリンチ事件など、相撲協会をめぐる厄介な問題も山積、いずれも疑念を晴らせないでいる。それでも日本人は相撲が大好きだ。3月大阪場所も始まった。本書は、史上最強、伝説の相撲取りと言われた雷電為右衛門の物語だ。

   江戸は天明の頃、東北では大飢饉が起こり、信濃、上州では浅間山の大噴火のため、多くの人命が奪われ、人心は乱れに乱れた。信濃小諸近在の百姓の一人息子太郎吉は馬面で化け物のような巨人だが、太郎吉の偉丈夫にあやかろうと我が子の無病息災を願う母親たちがつぎづぎと押し寄せ、太郎吉に赤ん坊を押し付ける。太郎吉は嫌がるそぶりをまったく見せず、巨大な手のひらに優しく赤ん坊を包み、無病息災を願って、天高く差し上げる。
   村の奉納相撲で脅威的な強さを見せつけた太郎吉は請われて、江戸大相撲の力士となる。
   谷風、小野川という両大関を筆頭に、大相撲人気は絶頂に達していた。当時、力士の最高位は大関でふたりは後に名誉称号である横綱を張るが、そのなか太郎吉改め雷電はいきなり関脇に張り出され、桁違いの強さで、相手力士を圧倒していく。後に大関に上がるが憎らしいばかりの強さのため、雷電が登場する結び前には見るまでもないと客たちは帰り支度をしたという。それでも雷電はおごることなく、長屋の母親たちに声をかけられれば、赤ん坊を天高く差し上げるのだ。
   21年32場所をつとめた戦績は254勝10敗、勝率9割6分、しかも大関戦では無敗であったという。雷電は先に逝ってしまった相撲人たちを供養したいと鐘楼、釣鐘を寺へ寄進した。しかし幕府内部の権力闘争の格好の餌食にされ、寺社奉行から謂われなき詮議にあう。雷電の無二の親友で、釣鐘の手配をした金物問屋助五郎は伝馬町の牢で獄死する。雷電は江戸所払いとなったのちも江戸大相撲の発展に寄与し59歳で没するが、死して数年を経ても、赤ん坊や幼児が差し出されれば次々と抱き上げ、穏やかな笑みを浮かべて病魔除けをする巨大な虚無僧姿の男が江戸の町々で見られたという。

   日本橋から隅田川、永代橋を渡ると深川、門前仲町だ。神田祭、山王祭、三社祭が東京の三大祭りとされているが、門前仲町“もんなか”の人たちに言わせれば、深川八幡祭こそ江戸っ子の祭りだと胸を張る。そのお祭りのお社は富岡八幡宮で、大鳥居の左手には大手運送会社のワンマン社長が寄贈したという巨大な神輿がガラス張りの神輿庫に飾られている。
   大鳥居の右手には「大関碑」「巨人力身長碑」などの古今東西の大関や、巨大な身長、体格を誇った力士の名を遺した相撲関連の石碑群がある。ここは江戸時代、勧進大相撲が開かれた場所でもあるのだ。さらに本殿の右側には「横綱力士碑」があり、江戸時代の初代明石志賀ノ助から現代の横綱まで名が刻まれている。その大きな石碑の中に唯一横綱を張らなかった相撲取りの名があって、それが「無類力士 雷電為右衛門」だ。

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