ほとんど毎日、書店をのぞかないではいられない。だから、いつも平積みされた新着本には、興味がある。
ベストセラーは、無視できない。おめあての作家の新作は、いまかいまかと待ち望んでいる。
でも出版されて数十年、文庫化されて版を重ねて、いまだ読者を魅了するそんな本こそ見逃せない。
仕事や義務や義理ではなくて、ただ「何か読みたくなった」とき、心に引っ掛かった一冊を紹介します。
冷布亭氏からのご案内は、月に2回のお届け予定です。

[連載エッセイ No.56]

プロフィール
山崎豊子「ぼんち」

新潮文庫 1961年1月 第1刷  単行本 新潮社 1959〜1960年

   山崎豊子は、今秋いよいよ映画公開が予定され、日航機墜落事故を題材に選んだとして物議を醸した「沈まぬ太陽」の著者である。また、何度も映画化、テレビ化された「白い巨塔」も山崎の著であり、鋭い社会性が彼女の小説の特色のようである。が、1958年直木賞受賞作となった「花のれん」は、場末の寄席経営から大阪きっての芸能会社に育て上げた女の細腕一代記で、大正から昭和にかけての大阪の風俗、芸能が丹念に描かれている娯楽性豊かな小説だ。何より会話はすべて大阪弁で、それが登場人物たちの個性を際立たせていて読んでいて実に“おもろい”。
   「ぼんち」も、大正から昭和にかけての大阪・船場の商家と色街が舞台で、大阪弁を縦横に駆使している。ぼんちとは、『大阪では、良家の坊ちゃんのことを、ぼんぼんと言いますが、根性が座り、地に足がついたスケールの大きなぼんぼん、たとえ放蕩を重ねても、ぴしりと帳尻の合った遊び方をする』敬愛すべき奴と、あとがきで山崎は書いているが、ここに登場するひとりのぼんちの女道楽ぶりは確かにスケールが大きい。今の時代では女性蔑視、人権蹂躙とも言われかねないが、色街の女たち5人をつぎつぎと妾(大阪では“めかけ”と言わずに“てかけ”と言うらしい)にして、茶屋遊び、芸者遊びで散財する。当時の風習やしきたりが詳細に紹介されていて、色街の匂いと言うか、佇まいが眼前に現れるようで、小生もぼんちになりたいなあと心浮き立ってくる。
   しかし心浮き立つことばかりではない。“家”の問題だ。主人公の実家は古くからの商家。旦那として家業を牽引していくが、代々女系家族で“お家はん”と呼ばれる祖母と“御寮人はん”と呼ばれる実母がいまだ権勢をふるっている。古い家族制度や度重なる祖母、母親との軋轢、5人の女達との愛憎劇の中で、主人公はぼんちたらんとして生きていく。

   ところで、前に紹介した尾崎士郎の「人生劇場」にも“ぼんち”という言葉が出てくる。侠客のなれの果て、吉良常のあだ名がそれであるが、冬でも素足で歩くので近所の子供たちは「ぼんちたびなし」と言ってはやし立て、さらにその文句を終いから言う悪ガキもいた。いやはや、やはり“ほんまもんのぼんち”にはなれるものではない。

過去の目ききな一冊をチェック