ほとんど毎日、書店をのぞかないではいられない。だから、いつも平積みされた新着本には、興味がある。
ベストセラーは、無視できない。おめあての作家の新作は、いまかいまかと待ち望んでいる。
でも出版されて数十年、文庫化されて版を重ねて、いまだ読者を魅了するそんな本こそ見逃せない。
仕事や義務や義理ではなくて、ただ「何か読みたくなった」とき、心に引っ掛かった一冊を紹介します。
冷布亭氏からのご案内は、月に2回のお届け予定です。

[連載エッセイ No.61]

プロフィール
松本 はじめ「永井荷風 ひとり暮らし」

朝日文庫 199年8月 第1刷  単行本 三省堂 1994年3月

   前に、永井荷風のすみだ川・新橋しんきょう夜話やわを紹介した時に、こう書きだした。
            “「荷風」の文字を目にすると、なんだか放っておけない。荷風の作品はもちろんだが、
            荷風文学に関連する本は多数出回っていて、なかでも荷風の人となりを言及したものは
            ゴシップ的な色合いもあって、とてつもなく面白い。“
   本書はタイトルからしてズバリ、荷風の日常生活がどうであったのか、著作を読み込み、資料を漁り、荷風ゆかりの土地土地を歩いて探った、面白評伝だ。荷風の金銭感覚、散歩趣味、女性遍歴、戦後の生活風景など、さまざまなエピソードを取り上げるが、著者自ら描いた詳細で豊富なイラストがあるのが本書の特色。自分の感想というか思いを入れたその飄々とした文体もいい。
   『正月早々から墓場に行くなんぞ、あまりいい趣味とも思われないが、四十、五十歳代の荷風さんはしばしば実行している。もっと景気のいい場所へ行けばよいだろうに、何か特別の理由があったのだろうか。(正月の散歩)』
   『若いお歌さんを前にして、さぞかしいい旦那さん振りを演じたことだろうと思いきや、おのれの欲望を満たすためには、なりふり構わない一面も平気で見せた。「可憐な女性の前でよくそんなことができるなあ!」と呆れるような逸話がいくつか残っている。(荷風先生の愛人)』
   『ロック座であろうか、楽屋でオーバーを着たまま荷風氏が座り込んでいた。(中略)まわりでは踊り子たちが荷風さんに背を向けて化粧に余念がない。(中略)場違いに変な老人が座っているという感じなのだが、余人には真似のできないくつろぎの姿なのであろう。
   ちゃっかりと半裸の踊り子さんの肩に手を置いて「寒くないかい?」とでも言っているような写真も残ってる。(浅草の永井荷風)』
   文化勲章をもらった大文豪もこれでは形無しだが、けっして荷風を貶しているのではい。
   “等身大”の荷風がそこに立ち現れているようで、それこそ著者が望んだところなのだ。
   著者の松本哉という人は、本書の他にも「荷風極楽」(朝日文庫)、「女たちの荷風」(ちくま文庫)、「永井荷風という生き方」(集英社新書)を出した、誰よりも荷風大好き人間であったと小生は思うが、2006年に63歳で亡くなった。この人の「荷風本」がもう読めないのが、本当に残念だ。

   今年は荷風生誕130年、没後50年。岩波書店から全30巻の「荷風全集」の刊行も始まった。文庫でめぼしい作品は読んでいるが、やはり触手が動く。欲しい!と思うが、1巻の値段は5000円を超える。全巻揃えるとなると、うーん、それは恐ろしい。それでも欲しい、欲しい気持ちが募ってどうにもならない。とうとう10数年前に刊行された「荷風全集」を、神保町の古本屋で購入してしまった。内容は今回刊行のものと全く同じ、古本とは言え、状態は極めて良好。価格も“ん分の1”、人はこうして、松本哉のように荷風に淫していくのだ。反省。

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