ほとんど毎日、書店をのぞかないではいられない。だから、いつも平積みされた新着本には、興味がある。
ベストセラーは、無視できない。おめあての作家の新作は、いまかいまかと待ち望んでいる。
でも出版されて数十年、文庫化されて版を重ねて、いまだ読者を魅了するそんな本こそ見逃せない。
仕事や義務や義理ではなくて、ただ「何か読みたくなった」とき、心に引っ掛かった一冊を紹介します。
冷布亭氏からのご案内は、月に2回のお届け予定です。

[連載エッセイ No.85]

プロフィール
辺見じゅん「収容所ラーゲリから来た遺書」

文春文庫 1992年6月 第1刷 単行本 1989年6月

   昭和20年(1945)8月 の敗戦で、ソ連シベリアに抑留された日本人は65万人と言われる。本書は、過酷な強制収容所での生活をつまびらかにしながら、帰国を待ち望む男たちの想像を絶する生き方を描いたノンフィクション。

   すでに昭和22年(1947)から、抑留者の帰国事業が始まっていたが、本書の主人公山本幡男は昭和25年(1950)になっても、ハバロフスク市内の収容所に収監されていた。山本は戦争中満鉄調査部に勤務していて、対ソ連諜報活動容疑で戦犯とされたのだ。前に居た収容所では「民主化」という名の露骨な「親ソ化、革命教育」が行われ、日本人同士で吊るし上げや暴行が行われた。山本も執拗な吊るし上げに会った。そんな中、山本はいつも詩を書き、短歌を詠み、俳句を作った。
   「アムール句会」。いつしか山本の周りに俳句を趣味とする仲間が集まった。元は高級将校から憲兵、そして一兵卒、民間人まで捕虜とされたさまざまな人が、固く閉ざされた極寒のシベリアの地で、故郷に帰る日を夢見て俳句を詠んだ。
   しかし劣悪な環境、貧しい食事、重労働で体調を崩し、十分な治療を受けられないまま死んでいく仲間も数多くいた。常に明るく、みんなの精神的支柱であった山本も昭和29年(1954)8月、45歳の若さで永眠する。山本を慕う仲間たちは、山本が家族に遺した遺書や俳句を、分担して、徹底的に頭に叩き込んだ。いつ収容所から解放されるか皆目見当もつかないが、ノート、手紙、小さなメモまで、ソ連軍にすべて没収されてしまうからだ。

   それから2年、昭和31年(1956)、山本の仲間たちを含む日本人捕虜の最後の帰還者1000名余りを乗せた船が舞鶴港に到着するのは、この年の暮も押し迫った12月26日であった。
   そして翌年、山本の遺族の自宅に、続々と仲間たちが「遺書」を届けにやって来る。

   最後の帰還船が到着する半年前、昭和31年(1956)の7月に発表された経済白書には「もはや戦後ではない」という言葉が記されたが、今年の8月15日は「まだ戦後65年」でしかない。そんな思いをまた新たにする一冊だ。

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