ほとんど毎日、書店をのぞかないではいられない。だから、いつも平積みされた新着本には、興味がある。
ベストセラーは、無視できない。おめあての作家の新作は、いまかいまかと待ち望んでいる。
でも出版されて数十年、文庫化されて版を重ねて、いまだ読者を魅了するそんな本こそ見逃せない。
仕事や義務や義理ではなくて、ただ「何か読みたくなった」とき、心に引っ掛かった一冊を紹介します。
冷布亭氏からのご案内は、月に2回のお届け予定です。

[連載エッセイ No.87]

プロフィール
谷崎潤一郎「刺青しせい・秘密」

新潮文庫 1969年8月 第1刷

   表題作の「刺青しせい」「秘密」をはじめ、「少年」「幇間」「異端者の悲しみ」「二人の稚児」など、文豪谷崎の24歳から34歳までに発表された7編を集めた短編小説集。なお、「刺青しせい」の発表は明治43年、西暦1910年というから、ちょうど100年前の作品となる。

   「刺青しせい」。刺青師の男がある娘をかどわかし、睡眠薬で眠らせて、肌に入れ墨の針を刺してしまう。なすがままにされる娘だが、背中に巨大な女郎蜘蛛が彫りあがると、娘は圧倒的な美しさを手に入れた悦びの声を上げるのだ。
   「少年」は、10歳ばかりの主人公と同い年で大きな商家の息子、彼らより1、2歳年上で商家の雇用人の倅とで遊ぶうちに、そこに13,4歳の商家の息子の姉が加わり、少年たちはいつのまにか少女から奴隷のような扱いに耽溺するようになっていく物語だ。
   「幇間ほうかん」は、旦那や芸者衆からの歓心を買うためには侮蔑や辱めも甘受するうちに、それも無常の喜びとする男の話で人間の性が哀しいが、落語に登場する幇間・太鼓持ちの生態をよく描いていて、落語好きの小生にとっては、その点でも興味深い小説だ。例えば冒頭、隅田川を船で向島へ花見に行くのは「百年目」という噺にそっくりだ。贔屓の旦那に祝儀をやるからといって無理やり鍼を打たれる「たいこ腹」、やはり旦那に無理やり飲まされ、祝儀をもらう代わりにげん骨まで喰らう「つるつる」は、この小説の主人公、三平そのものだ。

   谷崎の才能をいち早く見出し、世に出した1人に永井荷風がいるが、荷風が絶賛するくらいだからその文章はいまだ美しい。しかしながら、100年経ってもいまだ危うい魅力に満ちていることも確かだ。

過去の目ききな一冊をチェック