ほとんど毎日、書店をのぞかないではいられない。だから、いつも平積みされた新着本には、興味がある。
ベストセラーは、無視できない。おめあての作家の新作は、いまかいまかと待ち望んでいる。
でも出版されて数十年、文庫化されて版を重ねて、いまだ読者を魅了するそんな本こそ見逃せない。
仕事や義務や義理ではなくて、ただ「何か読みたくなった」とき、心に引っ掛かった一冊を紹介します。
冷布亭氏からのご案内は、月に2回のお届け予定です。

[連載エッセイ No.95]

プロフィール
太田和彦「ニッポン居酒屋放浪記 立志編」

新潮文庫 2000年12月第1刷  単行本 1997年1月

   開高健の新しい天体でも書いたが、「○シュラン」なんてガイド本は、少々胡散臭いものだと思っている。そもそもグルメガイド本はある程度の目安にはなるかもしれないが、鵜呑みにするものではない、三つ星、二つ星と騒ぐのはちゃんちゃら可笑しい。
   ところが「○シュラン」なんてと言いながら、「居酒屋味酒覧」なる居酒屋ガイドも書いている太田和彦となると、話は違う。この人が言うなら、小生、認めるし、好きとも言える。いや、大好きだ。もちろん彼が紹介した店に行ってみると、首をかしげることもある。大好きだからと言って、「鵜呑みに」しない。
   では何が大好きかと言うと、酒と居酒屋をこよなく愛する男の「居酒屋紀行」とも言える彼の文章が大好きなのだ。

   本書は、「大阪でタコの湯気にのぼせる」から始まり、ただ酒を飲むためだけに、「松本の塩イカに望郷つのり」、静岡、松山、京都、鳥取など、全国14都市をめぐり、「金沢で万十貝はもだえ果て」る。馴染みの店もあれば、初めての店もある。紹介される美酒、美肴の数々に、小生も思わず唾をのむ。趣のある店構えを見て期待して入ってみたら、裏切られたこともあるが、その顛末も楽しい。居酒屋それぞれの匂い、酒を愛する人々との出会いを書かせたら、太田和彦は絶品だ。
   静岡でたまたま通りかかった小さな居酒屋に、太田は映画「浮雲」を思い浮かべる。「浮雲」は昨年末に亡くなった大女優高峰秀子の代表作のひとつでもあるが、古い日本映画についての太田の蘊蓄もさりげなく各所に出てくる。その店は天井から裸電球が下がってるようなごく小さな店だ。
    『静かでいい気持ちだ。私は放心した。何も考えず一人ただ、ぼうっとしていられるのも
    居酒屋の良さだ。(中略。隣にいた男が)こちらを見ずにぽつりと声をかけてきた。
    「僕はこの裸電球が好きなんですよ。昔はこういうのがあったでしょ。この光の下にずっと
     座っているとなんか落ち着くんだなぁ。今から家に帰るんだけど、その前にいつもここへ
     寄ってしまうんだ・・・」』

   「読むクスリ」というエッセーがあったが、太田和彦の本は「読むお酒」だと思う。
   なお、本書「立志編」に続き、この放浪記は「望郷篇」「疾風篇」と刊行され、いずれも文庫化されたが、現在は、これらの中から16編セレクトし、「自選 ニッポン居酒屋放浪記」(新潮文庫)が出ている。

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