“伊丹十三記念館”愛媛県松山市に5月15日オープン!


役者であり、映画監督であり、雑誌編集長であり、名エッセイストでもあった伊丹十三氏の記念館が、幼き頃の思い出の地、愛媛県松山市にオープンします。

松山空港よりタクシーで約25分、伊予鉄松山市駅より伊予鉄バス砥部方面行きで約20分の“天山橋”下車徒歩2分の記念館は、自然を感じながら流れる時間を愉しめるように中央に位置する中庭を回廊で囲み、更にその外側に展示室やカフェ、ショップを囲むように設置したほぼ四角形の箱型建築。
黒いシンプルな板塀のシックな外観の落ち着ける記念館としてオープン予定です。
“十三”の名前にちなみ13のコーナーが設けられた常設展示室には、伊丹氏の人生の足跡を具体的な資料で辿ることができるように常設の展示が工夫され、企画展示室では、毎回独自のテーマを設け、その時々ならではの展示を楽しむことができる予定です。
様々な職業で多彩な才能を発揮し、趣味の域を越えて音楽、猫、乗り物、料理などを愛し楽しんだ伊丹氏ならではの観察力、発想法、想像力、仕事ぶり、そして個性的な人柄を感じることのできる空間となりそうで楽しみです。
近くにいらした際には、ぜひ訪れてみたい記念館です。

伊丹十三記念館
場所:愛媛県松山市東石井1丁目6番10号
開館時間:10:00〜18:00(入館は17:30まで)
休館日:毎週火曜日(火曜日が祝日の場合は翌日)

**お出かけ前には下記サイトで詳細はご確認ください。
伊丹十三記念館の公式サイトへはこちらから


伊丹十三(いたみじゅうぞう):本名 池内岳彦(戸籍名 池内義弘)
1933年京都市生まれ。父は映画監督の伊丹万作氏。幼少期は、父の仕事の関係から撮影所のある京都と東京で生活。1946年中学1年の父親の死を機に母の郷里である愛媛県松山市に転居。愛媛県立松山東高等学校で後に作家となる大江健三郎氏と同級に。(その後1960年に、大江健三郎氏は伊丹氏の妹と結婚し義弟となります。)
高校卒業後大学受験に失敗して上京した後、新東宝編集部を経てコマーシャルのデザイナーとなり、舞台芸術学院に学んだ後大映に入社、“伊丹一三”名で俳優となり、“嫌い嫌い嫌い” で主役デビュー。1960年に国際的映画人といわれた川喜多長政・かしこ夫妻の娘の川喜多和子氏と結婚。1961年には大映を退社。その後“ロード・ジム”や“北京の55日”など海外映画にも出演し話題に。1969年に“伊丹十三”に改名、映画やテレビドラマで存在感のある脇役として活躍。1983年には“家族ゲーム”と“細雪”でキネマ旬報賞助演男優賞を受賞しています。
1960年代から雑誌「婦人画報」(旧婦人画報社)やサントリーのPR誌「洋酒天国」「話の特集」(話の特集社)などにエッセイを発表し、「ヨーロッパ退屈日記」(文藝春秋/新潮社刊)女たちよ!(文藝春秋刊)では、日常をさらりと描いた親しみやすさと上質なユーモアで包んだ女性に挑戦的とも思えるようなエッセイを描き、ちょっときざな悠々自適さが読者を悔しがらせながらも注目され、その後のエッセイというスタイルに多大な影響を与えています。時々エッセイの最後に記されていたという冗談のような自己広告「配偶者を求めております」の迷文?を掲載したと思ったら、とっくにバツイチとなっており、1969年には山口瞳氏の媒酌により女優の宮本信子氏と再婚したのですから、その有言実行の行動力には読者も驚かされたようです。(信子夫人との長男は俳優の池内万作氏、次男は池内万平氏)。結婚後、実は料理をはじめとする家事や子育てにも関心が深く、家族思いだったことが随所で明らかになっています。
また、唯幻論を説いたものぐさ精神分析(青土社刊)の岸田秀氏の影響をうけ、1981年には精神分析を軸にした雑誌「モノンクル」を創刊し、編集長を務めたこともあります。(残念ながら6号で休刊)
多彩さと何にでも興味を持つ尽きない探究心は止まることを知らず、1970年代にはテレビ制作会社テレビユニオンに参加し“遠くへ行きたい”などのドキュメンタリー番組に関わり、テレビのCFのにも数多く携わっています。このドキュメンタリーの手法の腕が、映画は信子夫人の父の葬儀をきっかけとした1984年の映画監督デビュー作にして日本アカデミー賞を始めとした賞を数多く受賞した自作脚本、監督・プロデュースを兼ねた“お葬式”へと繋がっていきます。その後も社会に対する問題意識と上質なユーモアを併せ持つエンターテイメント映画作品を目指し“タンポポ”“マルサの女”“あげまん”“スーパーの女”など10作品を監督。高い評価を受けましたが、反面、その表現において社会的批判も受けました。
“ミンボーの女”、“大病人”等では、伊丹氏自身が重症を負った襲撃事件やスクリーン切り裂き事件等のトラブルに見舞われました。しかしそこで変わることも諦めることもなく、襲撃事件により身辺警護を受けた経験を1997年に“マルタイの女”で映画化するなど意欲的に活動されています。でもやはりさまざまな心労が重なっていたのでしょうか、12月、伊丹プロダクションのある麻布台のマンションの屋上から飛び降り、亡くなられました。64歳でした。
謎の多い突然の訃報だっただけに様々な憶測もされましたが、今となってはわかるすべはなく、ただただ残念です。
2001年に、義弟の大江健三郎氏が取り替え子(チェンジリング)(講談社刊)という小説において伊丹氏を思わせる人物を登場させており、一時話題となりましたが、小説というジャンルはフィクションが前提なだけに影響されるものではないと思われます。

(2007.05.16)